不倫の肯定派と否定派の意見を求めたところで、結局は共通して無意味だと感じる理由

不倫パパつぶやき




不倫中、婚外恋愛中の皆さまこんばんは。

不倫パパです。

 

先日ネットのニュースで「GLAYのHISASHIさん」の不倫疑惑報道を見ました。

以前の芸能人の不倫報道多発期から世間はだいぶ落ち着いた感じはしますが、私が学生時代によくテレビで見た大物芸能人の方の報道は久しぶりな気がします。そしてこのような報道が出るとGLAYに興味がない人でさえも不倫を批判する意見がネットには溢れると感じます。

私自身が不倫経験者なのでこのブログは「不倫肯定派」のご閲覧者様が多いと思いますが、不倫相手と別れて長い日にちが経ち「不倫否定派」の意見も十分理解をしています。

不倫を肯定することも否定することも、自分なりにどちらの気持ちもかみしめた上でブログを続けていますが、目にするもののそれは「個人的な感情の対立」という共通点しか見えないと思っています。



不倫肯定派と否定派の「正論」

「不倫は何故いけないのでしょうか?」良識のある人間なら不倫を当然に否定します。そもそも道徳に反する事なので、ブログや掲示板に「誹謗中傷はご遠慮下さい」と書かれていたところで、悪い事をしている人間は叩きたくなるのが普通です。

[box class=”pink_box” title=”不倫否定派の正論”]どれだけの人を不幸にするか考えていない

人間社会のルールもわからない人間

嫁と子供に言ってみろ[/box]

自分自身が実生活に不倫と何の関わりがなかったとしても、不倫を否定する場合は不倫は悪い事であるという「絶対的な人間社会のルール」を正論として批判することができます。

 

不倫肯定派においても共通した「肯定派の正論」が存在します。

[box class=”blue_box” title=”不倫肯定派の正論”]出会う順番が違っただけ

人を好きになるのは理屈ではない

理性でわかっていても感情はついていかない[/box]

不倫している人にもそれなりの理由や事情があるので、関係のない人に叩かれたり侮辱されるいわれはないと感じるのでネットの掲示板等では「誹謗中傷はやめてください」と前置きを入れます。そして私の場合は「不倫肯定派の正論」をもって自身の不倫を正当化していました。

 

不倫肯定派と否定派の共通点は「自尊心」

以前のこのブログの記事にも、不倫での「否定派」と「肯定派」の意見の対立が多々ありましが、私たちが目にするものはただの「感情的な対立」である場合が多いとこの上なく感じます。

不倫に対して生理的な拒否感がある人が「不倫否定派の正論」を振りかざして批判を語ることは容易です。また不倫肯定派にとっては様々な理由を探して不倫を正当化しようとする裏側には、不倫の是非ということよりも自分の行いを否定されたくないという気持ちかもしれません。

ただその二つは「個人的な感情」が根底にあると感じます。言葉を言い換えると「自尊心」の対立です。

不倫をしている人の相談に、不倫否定派の人が不快と言いながら誹謗中傷を書き連ねることも、不倫肯定派の人が不倫されるほうにも問題があると言っていることも、どちらも一緒のただ個人的な感情を黙っていられないだけという共通点を感じます。

ただこれは先に述べたとおり私たちが目にするものの範囲内、あくまでネットの世界の言葉です。

「不倫否定派の正論」を振りかざす人は自分は絶対に不倫はしないという自信があるので、当たり前に不倫を批判します。でもいくら不倫を止めろと言ったところで本人が実感して決意しない限り不倫をやめることはないです。「不倫肯定派の正論」をもって不倫を相談する人はあくまで色々な考え方を求めているのであって、否定派の正論を書き綴られたところでそれが分かっているから苦しんでいるとしか言えない。否定派の人はその当たり前を実感として分かろうとしない。

不倫の否定派も肯定派も、どちらもその当たり前の共通点しか見えないのが「ネットで不倫の考え方を求める上での限界」だと私は感じます。

 

配偶者に不倫をされて心に深い傷を負いながらも、そこから再構築を図ろうとしてダメだった方が数年間書いてらっしゃったブログを読んだことがあります。された側の気持ちも分からないで不倫が肯定できるのか?と言われれば、不倫を経験したことがない人に不倫の苦しみが分かるのか?とは言えるはずもありません。

ですが、今不倫で苦しんでいる人が無駄なことをしているとは私は思いません。その過去が意味のないものと思ってしまう人は過去の不幸を嘆いているだけで、その経験から何も得られなかった人だけです。

本日もご閲覧ありがとうございました。




Posted by 不倫パパ